朽ちていくということ
朽ちていくということ_e0162117_16471920.jpg今日 不思議なことがありました。だってテレフォンショッキングの取材で大館市曲田にある北鹿ハリストス正教会を訪れた帰りの車の中での出来事。
紅葉も終わり落葉して、
秋も終わりという景色。
昨日までのわたしだったら一番嫌いな時期、好きじゃない風景でした。それなのに、今日は不思議と枯葉色の重なりに美しさを感じました。
この時期、この感覚で景色を感じたのは初めてだったので、どうしてこのように感じたのかずっと考えながら帰宅しました。
思い当たったのはキャロルボルトン。アーティストです。
自宅のインテリアの参考に取り寄せた洋書の一冊にインテリアをテーマにしたアーティストを収録した本がありまして、その中で彼女が紹介されていて、その作品から受けた美しさが今日感じたものに近いような気がしたのです。
さらにその美しさについて考えてみました。どうして美しく感じるのだろう?・・・・と。
晩秋の景色もキャロルの作品も共通しているのは"朽ち果てて無くなる寸前の存在”だということ。それは言い換えれば最も長く時間を刻み込んだ存在であるのです。
なぜなら次の瞬間朽ち果ててて存在しなくなるからです。
終焉は愛おしさにつながるのだと感じさせられました。

写真は、キャロルの作品集より
by bull_chihoko | 2009-11-14 16:54 | 自然
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