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戦時中のビール業界激動時代
(昨日に続きのビールの歴史です。)
戦時中のビール業界激動時代_e0162117_291059.jpgほぼ独占企業となった大日本麦酒株式会社のヱビスビールは、1928年(昭和3)に、恵比寿(渋谷区)という街の名前にまでなりました。特定の商品が駅名(山手線:恵比寿駅)や地名になるのは大変珍しいことです。昭和初期、それだけビールが人々に支持されていたのです。

同じく、昭和3年洋酒の寿屋(現サントリー)が「カスケードビール」というブランドを持つ「日英醸造」を買収。昭和5年から「オラガビール」というブランドにて発売されました。この「オラガビール」は、”オラが”宰相とあだ名された首相田中義一氏にちなみ命名され、価格も大瓶1本が、他社が33銭のところを25銭まで下げて大衆浸透がはかられ、販売大手ビール会社を揺るがしました。
さらに戦争が激化し、ビール業界はますます窮地に立たされ、様々な規制のもと、会社としてビールを作るというよりも、「お国のため」の色合いが強くなり、ラベルにもただ「麦酒」と書いただけの単色ラベルに変化していました。
また、もう少し戦争が続いていれば、工場などに使ってある金属類も金属回収のため、スクラップ化が迫られていたとも言われています。
昭和20年5月に軍関係の燃料にするためビールを蒸留してアルコールを取ると申し渡され、ビールの配給は9月で停止とされていたそうですが、8月に敗戦、かろうじてビール工場をアルコール工場に転落させられるのを免れました。

しかし、戦争が悪化した最悪の状況下で、ビール業界は逆境を見事に躍進に変えるのです。原料の大麦のストックがあって原料不足にならなかったことも幸いしました。軍用ビールの需要があり、さらに家庭用ビールの配給によりビールを口にしたこともなかった人々が飲んでくれたことがその後の普及につながりました。

洋酒の寿屋も昭和3年〜9年までしかビールを作らなかったため、戦後のビール会社は大日本とキリンの2社だけとなっていましたが、アメリカによる「過度経済力集中排除法」(現在の独占禁止法)に基づき、昭和24年「大日本麦酒」は2分割され、「日本麦酒(現サッポロビール)」と「朝日麦酒(現アサヒビール)」となりました。
その後再びサントリーが昭和39年麦酒業界に参入し、近年まで4社による独占となっていました。現在の日本ビールのブランドに戦後のアメリカの影響力があったのはとても意外なことでした。


余談になりますが、日本で最初のビアホールは銀座のヱビスビアホールだそうです。
しかし、古代メソポタミアの時代にもビアホールがあって、ホールではトップレスの美女がビールを運んでいたという記述があるそうです。現代よりも過激なんですね。
by bull_chihoko | 2010-08-20 01:26 | ダイアリー
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